私は寛容であろうと努めてきた。
どんなにイラっとしても、不快に思ったとしてもきっとこう考えてるのだろうとか、あれこれ理由をつけて許容してきた。
そいつが正しいとは思っていない。でもこう考えているのなら、こういう性格なら仕方ないのではないかと、相手を正当化してきた。
私のこの行動の根幹は自分を許すためなのではないかと最近気づいた。
他人を許容することで、過去の過ちを、恥を、失敗を許容できるようにしているのではないか。
相手を否定するだけ自分を否定するような気がして、だから私の精神は自己防衛的に他人を許容しているのではないかと思う。
それで怒りを覚えた自分を間違いとし、自己否定が始まるのは本末転倒だが。
つまりは私は全てを許容するために、自分が間違っているという前提で生きているのだ。それで結局自分の過去も今も許容できていないので無駄に精神をすり減らしているだけになっているのだが。
だからと言って誰かを否定する資格があるとも自分にあると思うことはできないので、結局私は自分が間違っているという前提を持ち続けるしかないのだが。
相手を否定していいという事は、相手の全てを知らぬ限りないと思っている。
人間環境に作用される。
自分が間違っているという前提があるせいで、私のなかにはありとあらゆる思想が混在している。といっても、共存している訳でもなく、思想の蟲毒というのがしっくりくるかもしれない。
性善説と性悪説みたいに矛盾したものも同時にあり、互いに否定しあっている。
さらに言えば善悪なんて主観でしか存在しえないという思いもあるし、エゴであると思っている。
おかげで私は自分の思考自体を無限に否定することができる。
矛盾した思想が同時にあるのだ、そしたら否定のキャッチボールが始まるのは道理である。しかも1on1じゃなく、大量に派閥があるのだ。まさに蟲毒である。
まぁ、そのくせ減る気配はないのだが。蟲毒らしく、最後の一匹まで食い合ってはくれないのだ。それどころか新たに生まれるまである。
思考がこんがらがってきたのでここまでにしよう。
そういえば、ここのサイトの流入がgoogleメインなのだが、どうやって見つけているのだろう。私なりに検索してもたどりつけない。サイト名そのままいけばいけるのだけれどね。最初に見つけてくれている方はどうやって見つけているのだろう。
なんかこういうブログを見つけやすい検索方法があるのだろか、あれば教えてほしい。