無能つれづれ
最近は、バイトをしている。叔母がやっていところで、人手が足らず半強制的になのだが。
ここ二週間は地元の祭もあり忙しく、ほとんど働き詰だ。
そんななか、頑張っているからと叔母は他のバイトにタイムカードを押すのを遅くしていいと言った。
私のタイムカードは時間通りだ。
とても虚しかった。そんなつもりはないのだろうけど、お前は頑張っていないと、無能だと、言われた気がした。
叔母の目線が怖かった。何かしなければいけない気がした。動かなければいけない気がした。
他2人は外部の人間で、他の仕事を断ってこっちに来ているし、私の場合給料に生活がかかっている訳でもなく、使い道もない。
甘やかす理由がない。ただそれだけのことなんだろうけど。
それでも、私の拗らせてしまった精神は何処かでそう感じてしまう。
確かに私は頑張ってないのかも知れない。逃げてばかりだ。現実を見ていない。
死ぬ勇気もないくせに、死に方ばかり考えている。
自分が醜い。もっと頑張らなきゃいけないなんて分かってる。将来を見据えなければいけない。
分かっているが、自分に言い訳ばかりしていて、泣いてばかりだ。
ただただ虚しく、吐き出したいが考えがまとまらない。
人の陰口を聞くたび、自分に言われているような気がしてならない。 自分が自分でなければいいのに。解離したい。
自我を無くしてしまいたい。自我を出すほど、不安はつのる。
胸が苦しい。自分を認められない。感情が跳ね回る。理想と自分を比べては、自分を罵っている。自分が2人いるようだ。
あぁ本当にまとまらない。最近書いてなかったからかな。
なんか疲れてしまった。明日も早い。寝よう。
愛着
たまたま愛着障害や、それに関係して愛着スタイルという言葉を知った。
愛着スタイルには大きく分けて安定型と、不安定型があるらしく、さらに不安定型は回避型・不安型・未解決型の三種がある。
そして、不安型と回避型を同時に持つ場合は恐れ回避型と呼ばれ、未解決型はどれにも併存する、
これらは基本的に親との関係で決定付けられるらしく(途中で変わる事もある)安定型はそのなの通りで、安定した人間関係を持てる。
回避型はしつけが厳しかったり親が冷淡であったりとした場合で、人との密接な関係を避けるようになる。
不安型は親の態度に変動があり、顔色を見ながら育った場合で愛を失う、つまり関係性が悪くなる事を恐るよいになるらしい。
恐れ回避型は二つの要素を持ち合わし、人との関わりを求めながらそれを避ける二面性を持つ。
未解決型は親との関係でおった心の傷を解決出来ておらず、トラウマのようになってることである。
愛着スタイルは割合で考えられ、不安型の影響が強いと日常に支障をきたす程だと愛着障害となる。
ここら辺の説明はざっくりかつ素人なので気になるなら個人で調べてみて欲しい。
ネットに診断が転がっていたので試しにやってみた。


不安定型が軒並み強くて最早笑ってしまった。我ながら酷いものである。
確かに私と親(養育者)との関係は良いものではなかった。虐待や育児放棄されたとかではなく、愛自体はあったのだけれどね。
しかし、これは凄い納得感はある。私の特徴として一人は好きだが独りは嫌いがありますからね。
人は好きだし人と一緒にいるのは好きだが、人といるのは疲れるしあまり積極的に関わることもしない。
しかし人が離れていくのは辛い。人を怒らせるのも非常に苦手だ。
snsだとそれが顕著に現れ、関わった人がいつのまにか消えてたりすると物凄く虚しくなる。よく昔見てたブログが消えているのを嘆いていたのもこれなんでしょう。
怒らせたりブロックされていたりすると心臓が脈打ち、頭が真っ白になる。なんなら息が震え始め苦しくなることもある。
現実でも怒った理由が分からなかったりすると非常に不安になったりする。逆に対処が分かるような怒りなら大丈夫なのだが。
育ち方にも心当たりはある。私は小学生になるまでは普通に幸せに育ったが、途中から祖母の家に預けられて育った。
この祖母は厳しいかつヒステリックな人であり、一度怒らせると何時間も叱られ続けた。期限がいいと褒めてくれたりお菓子をくれたりなど態度にもむらがあった。
祖父も気難しい人だったし、祖母が褒める時も叱る時も人を引き合いに出すため、環境的にストレスも溜まっていた姉との関係も当時悪かった。
一応週末は本来の家に兄姉と両親と集まっていたのですが、時間がたつにつれ兄の反抗期により父親と苛烈な喧嘩をするようになりました。
私はこれにより殆ど常に人の顔色を見ながら育ちましたし、愛をあまり感じずに育ちました。
さらに父親は子供と世話と病気の母を支えることに限界を迎え、途中で週末にすら私に来るなと言いました。
まだ小学生だった私はこれを捨てられたと捉えてしまい、より愛を感じなくなりました。
中学の時に私は行方不明事件を起こし、泣きながら抱きしめられて勘違いだと気づいたのですけどね。
未解決型の部分は色々ある気がします。
私は色覚異常を持っており、信号の青が白に見えます。小学校に入学した頃それを無邪気に喋った結果、嘘をついたと思われ窘められたこと。
これ以外にも本当の事を信じて貰えない事は何度かあり、これはかなり引き摺ってるように思います。
親に来るなと言われたの傷ですし、小学校の時限界がきた私が登校拒否した時無理やり登校させようとした事も結構辛かったと記憶してます。
ここら辺から人に期待することをやめたような気がします。
兄が味方をしてくれて休めてはいたのですけどね。
兄はかなり私を助けてくれましたが、殆ど関わる事は出来ていないのですよね。兄の人間性も私には全然分かりません。
心配してくれていたことは分かるのですどね。
でも兄も恐らく回避型は持ってるのでしょうね。よく連絡先を全て消しますし、不登校でもありました。
最近少しずつ自分が辛いという事が認めることが出来るようになり、精神と理性の衝突による胸を引き裂きたくなるようなストレス・感覚もあまり感じなくなりました。
この愛着の話も、少なからず私は傷を背負っていたんだなと認めることができ、少し楽になる事ができました。
だから親が悪いとも思いませんけどね。誰も悪くないし、どうしようもなかった。
いつまでたっても自分を完全に認める事が出来るとは思えませんけどね。
南条あやさん紹介
皆様、南条あやさんという方をご存知でしょうか。
1990年代にいたメンタルヘルス系ネットアイドル(アイドルと言うとイメージが違いますが)です。1998〜1999年の、僅かな時期だけ日記を投稿していました。
重度不眠症と、いつでもどこでもリストカッターを名乗るほどの自傷癖を持った方で、貧血で入院するほどでした。
彼女は日記を公開しはじめてから9ヶ月、僅か18歳で自殺してしまいましたが、その文才溢れた日記にファンも多くおり、葬式には多くのファンが訪れ、日記は書籍化、メモリアルサイトの作製もなされました。
メモリアルサイト
https://web.archive.org/web/20030805035852/nanjouaya.com/hogoshitsu/memory/index.html
メモリアルサイトでは、彼女の日記やイラストなどが載っております。
私は彼女の死後に生まれた身ではありますが、彼女の文才に魅了されたファンの一人です。
私が何故ブログを書き始めたかは覚えておりませんが、きっと彼女に影響された所も大きいでしょう。
日記を最後まで読んだ時、後書きとして彼女の自殺の知らせや死因、追悼の言葉が書かれており、理解していたにも関わらず大変ショックを受けたのを覚えています。
ですが、それほどに彼女の文は良かったと言う事ですから、是非ご一読のほどを。
耐性
人の怒りに耐性がないことを思い出した。正確には、人を怒らせることにである。
昔Twitterで勉強垢か何かを作った時、人に絡みにいって怒らせてしまって申し訳なさと恐怖で頭が真っ白になった。
幸い友人がふざけて別垢で絡んできたと勘違いしたらしく、私の落ち度ではなかったのだが、それから暫く恐怖感でTwitterをさわれなかった。
時が経ちこれを忘れ普通にTwitterを使っていたのだが、フォローした次の瞬間私のことと思われる愚痴のツイートがあった。
私の言い訳癖のせいと思われる。恐怖感からか被害妄想をしてしまうたちなので、なんとも言えないのだが、おそらく私のことである。
それを見た瞬間過呼吸になりかけ、耐性のなさを思い出した。怖くてフォローは外した。
人を無闇に攻撃するような人間は気にする必要はないのだろうが、人を怒らせたという事実の恐怖感がどうしても拭えない。
私が弱いのか、叱られてばかりで育ったからなのか、親と兄との喧嘩に恐怖していた経験からなのかはよく分からないが。
こういう理由を求めて正当化しようとしているのが、彼(彼女?)の反感を買ったのだろうけど、最早私の性なのでどうしようもないのだろう。
多分、私はこうして許しを願っているのだろうな。言い訳するほど相手を怒らせることは理解しているつもりだったのだが、そんなことはなかったらしい。
色々自分語りしてきたが、結局私は私のことなんてちっとも理解していないのだろう。
自分を理解した気になって、語っている。自分を理解したい気になりたいだけなのかも知れない。理由が無ければ、自分を責めるしかないから。
私の自己嫌悪は、結局理由付けして自分を正当化したい自己中心的な行動だったのかも知れない。
そもそも人間なんて皆結局自己中なのかもしれないが。
私の中で内容がひと段落したが、書いてると落ち着けるのでもう少し何か話そう。
そうだな、愚痴の話をもうちょい続けるか。
愛想のいい人間が愚痴を喋ると不安になる。仲良くしている人間も、全て建前で裏では私のことを嫌っているのではないか、愚痴を喋られているのではないかと。
人間完璧で居られないことは分かってるし、どうしても相容れない人がいるのも分かる。
生きてれば不満も溜まるし、建前がない人間もいないだろう。聖人君子はそうそういるもんではないのだ。
それでも人を怒らせるのは怖い。間違いだらけのくせに間違いが怖い。そうして何も出来なくなって一層間違いを重ねるのだ。私はそんな人間である。
ちっぽけなプライド引っ提げて、理由を求めて正当化して、逃げ回って。醜い人間である。
それを自覚しながら指摘されれば深く傷つくのだ。タチが悪い。
自己否定は正当化であって、独りよがりであって、いざ指摘された時の傷を少しでも浅くしようとしている行為なのだろう。
また無限ループに陥りそうだ。いや、そもそも私の行動はいつも悪循環の無限ループか。平常運転かも知れない。
いつまで経っても成長しない。何も変わらず、恩も返さず迷惑だけかけてゆくのだろうな。私は。
雪降りに死を見る
高校生活が終了し、めでたくニートとなりました今日この頃。窓を開けたら雪が降っておりました。
私が真っ先に呟いた言葉は『凍死しやすそう』でした。我ながら酷いもんですね。もう暫くは死なない予定の筈なんですが、常に死は頭にちらついついる。
そもそも私に自殺する気力も勇気もないのですけれど。
ついでに卒業式の話でもしましょうか。
卒業式では私のクラスメイトが答辞を担当しました。なんか今までありがとうとか、高校生活楽しかったですとかを卒業生が話すあれですね。
それを読み上げる中走馬灯のように思い出が巡ったらしく、その人は途中で涙を流し始めました。
尊敬物ですね。私は何かのために涙を流せるほど熱中したり、思い入れを深いものがあった試しがありません。
中学時代のクラスは好きでしたが、その別れの時も泣くことはありませんでした。もちろん悲しみがないわけじゃないのですが。
私の涙は嘆きの涙ばかり。自己中心的な涙とでもいいましょうか。まぁ涙なんて言ってしまえば全部そうなのでしょうけど。
私にもそんな熱中できる何かがあれば違ったのでしょうかね。
いや、そもそも私は何かに熱中出来る人間性じゃないのでしょうね。あまりにも精神が弱すぎる。
生きがいを求めている時点で、生きがいを持てるような人間ではないのかも知れません。
そんなこと言ったら、あまりにも希望がありませんね。
まぁ、希望があったとしてもそれが絶対にいい事とは思えませんけど。あぁでも人間は希望を抱いてる時が幸せなんでしたっけ?ドーパミン的に。
いっその事ディストピアであればいいのに。完全管理された世界でも、幸せならばそれでいいじゃないか。自由であることは、それだけ悩みを生むのだし、望みを知らなければ望みが叶わぬことを嘆くこともない。
そんなことを言ったら、極論死こそ救いという話になりますね。
寒くて手が震えてきたので終わりますかね。これ以上思考を言語化する集中力がないのもありますけど。
ガタガタ体
イライラしすぎて暴食したくなったけど、暴食する体力が無かった。
体のあちこちが痛いし、全体的に頭がくらくらしている。
金がなさすぎて電車に乗らず歩いて移動してるせいであまりにも疲れている。
雪のせいで自転車が使えん。君死にたまへ。
学校いって帰って寝て、朝だけ食べて学校に行く。繰り返し。
後2日で終わるからいいんだけどさ。
いや、将来暗黒色だしよくはねぇか。
最近イラついてるか泣いてるかぼーとしてるかしかしてない。
何か対してイラついてるでもないんだけどね。
ただストレスから虚空に愚痴を吐いてる。そもそも性格的に人に怒りをぶつけれなくもあるけど。
眼球をくり抜いて握り潰したい。実際眼球取り出そうとしたらどれくらい痛いんやろか?
案外痛くなさそうと思ったけど、目に香水入った時くそ痛かったから痛そうやな。
血も抜きたいけどそれ以上に眠い。ただひたすらに眠い。
毎日3,4時に帰って、そこから5時くらいまで寝てる。まぁ起きてたってやる事もないか。そんな気力なんてない。
空虚な人生だこと。
誕生日にこんなこと書いてるのもまた。
あぁそうだ。
今月のアクセスが300達成とともに、累計が3000になりました。
ほとんど私の愚痴で構成されてるこんなブログにお付き合いいただき、ありがとうございます。
眠いし今日は短めに終わります。
おやすみなさい。また嫌な明日で。
not人間。not生物。
最近体がバグ塗れだ。
眠くないのに寝るし、眠いのに寝つきは悪い。
腹は減ってないけど惰性で飯は食べるし、お腹が減ってても少量食べて後は吐きそうで食べれない。
美味しさもあまり分からない。
今でもほんとに美味しいものを食べれば美味しいと思えるのかも知れないが、最近食べたものでは食べやすいか否かしか感じない。
基本的に食べ物はとりあえず腹に入れてるだけであり、無理やりである。
昔美味しいと思っていたはずのものは、その無理やり間がなくなるだけ。
美味しさのレベルが全て一段落ちた感じだ。
終わってる生活してるせいでペットボトルの蓋も開けれなくなり始めた。
体重も2kgほど落ちた。元々死にそうな体と言われてるのにである。
逆にこんな生活でも2kgしか変わらないという事なのかも知れないが。
odも自傷もめんどくさくてやらなくなったし、自己嫌悪もあまりしなくなったが、逆に希死念慮は強くなったように感じる。
どちらかというと、生きなければならないという思想が消えてしまったの方が近いか。
少し前よりかは娯楽をできるようになったが、楽しむというより、ただ暇つぶしである。
結局人生とは死までの暇つぶし。そんな考えである。
生きてても迷惑だし、死ぬのも迷惑。
存在ごと消えてしまえればどれだけいいか。
話が纏まらない。
人との会話がめっきり減ったからだろうか。
人生全て惰性で過ごせればいいが、人生は楽しさも苦しさもある。思考を、感情を動かさなければならない。
無機質に生きていきたい。もしくは死にたい。
何も感じたくない。考えぬ葦でありたい。
幸を覚えるほど後の不幸は際立ち、幸は埋もれ色褪せる。
不幸でないはずのものでも、不幸に感じる。
神経は削れるばかりで、増えはしない。
生きるほど純粋さは無くなり、虚勢は増えていく。
私は崩れゆく足場の上で何も出来ないでいる。
新たな足場を作ることも、足場を補強することも、できるはずなのに。
きっと皆何かを積み上げ、大きくなるのだろう。
でも私は小さくなるばかりで、2歩歩いて3歩下がるを繰り返している。
最近は疲れてそれすらしなくなり、ただ落ち続けている。
そのままどこかに消え失せたい。
私はいつからこうなったのだろう。最初に道を間違えたのはどこだったのだろう。
過去に縋りたくても、記憶は風化していくばかり。
ゴミみたいな人間。